みなさん、お久しぶりです。3年生の方は、部活・サークルの合宿や旅行、インターンシップなど様々な予定が目白押しで、試験勉強のことを完全に後回しにしてるかもしれませんが、教養区分試験の出願期間は28日までなので、受験を考えている方は手続きを忘れないでくださいね。今回は試験勉強とは全く関係ない話だと思いますので、心に余裕のない方、欧州の東側に興味のない方はブログを閉じて試験勉強をしてください。
今日8月21日は、49年前にワルシャワ条約機構軍による軍事介入により、「プラハの春」と呼ばれる民主化運動が圧殺された「チェコ事件」が起きた日です。この日から1989年11月の「ビロード革命」とよばれる民主化運動までの21年間余、旧チェコスロヴァキアは正常化とよばれる冬の時代にありました。そのビロード革命の結果、新生チェコスロヴァキアの大統領に迎えられたのが、民主化運動の最大の立役者である一方、幾度となく投獄の憂き目に遭った劇作家バーツラフ・ハヴェル氏でした。
彼は、大統領就任直後の1990年1月1日、国営放送で行われた国民に向けた新年のスピーチにおいて、『カエサルではなくイエスを!』と唱えた初代大統領トマーシュ・ガリック・マサリク(彼自身、元々は哲学者です)に倣い、『自信という言葉の意味を最も良く自覚している人間あるいは民族だけが、他者の声に耳を傾けることができ、その人たちを自分と同等の者として受け入れ、自分たちの敵を許し、自分の罪を悔いることができるのです。このように理解された自信を、人間として我々の生活上の絆に取り入れるとともに、民族として国際舞台における我々の取るべき態度の中に取り入れるように努めましょう。そうすることによってのみ、自分自身、隣人、そして他民族に対する敬意を我々は再び得ることができるでしょう』と、健全な自信と寛容の大切さを訴えていました。
価格・貿易自由化、所有権移転に代表される計画経済から市場経済への移行に対する関心もさることながら、全体主義体制の優等生と長年揶揄されたかと思えば、一転して血を流すことなくわずか1週間で共産党独裁政権を崩壊させ、哲学者や劇作家が国家元首になることを許容する社会の在り様が、学生時代から現在に至るまで私のチェコに対する興味を持続させてきたと言っても過言ではありません。もちろん、民主化はチェコスロヴァキア解体という痛みを齎しましたが、僅か500km南では昨日までの隣人同士が殺し合いをしていた(スロヴァキアの首都ブラチスラバからボスニア=ヘルツェゴビナの首都サラエボまでは直線距離で僅か500kmです)のと異なり、きれいに別れることができた(当時はビロード離婚とも言われていました)ことも、私のこの地域への関心を高めはしても、薄れさせることはありませんでした。
そんなチェコとスロヴァキアが、お盆休み期間中、CIMAアカデミーのtwitterに登場しました。誰かがリツイートしたものですが、チェコとスロヴァキアだけが周辺と色が全く異なるヨーロッパの地図とともに、「欧州で最も不寛容な国で人種差別がひどい国」とありました。でも、よく調べてみると、地図は確かに誰かが最近作成したものですが、データの出典元は欧州委員会が2015年10月に公表した世論調査『Discrimination in the EU in 2015』だったので、私の第一印象は「何で2年も前のモノを、今になってビジュアル化するんだ?しかも、この世論調査の質問項目は、女性の社会進出、トランスジェンダー、ロマなどに対する差別など非常に多岐に渡っているのに、黒人、アジア系、ムスリム、ユダヤ人に対する差別意識だけ取り出し可視化するなんて、恣意的としか言いようがない!」でした。
とはいうものの、気になってネットサーフィンしてみたところ、チェコに対するネガティブな記述がこれでもかというくらい出てきます(主に観光旅行等で嫌な体験をした人が書いているのですが…)。当然ながら、私の気分はよくありません。自分のお気に入りで、たった1年とはいえ生活の拠点でもあったところがめちゃくちゃに書かれるんですよ。皆さんも自分の職場や所属しているコミュニティについて、ほんの一面しか知らない人から全てを見切ったかのように自信満々に悪く言われる様子を想像してみてください。「そんな輩は相手にしない」という人もいますが、そう言ってる時点で心が穏やかではなくなっているはずです。
もちろん、留学中何度か嫌な目に遭ったことがあるのは事実です。日本に荷物を送ろうと郵便局に行ったら、日本と書いてあるにもかかわらず「ベトナムか?」と言われたり、居酒屋で一人で呑んでたら酔っ払いに「ハラキリ、ハラキリ」と絡まれたり、なんてことは普通にありました。反対に、留学開始直後、長期滞在の届け出をするために警察で中国や北朝鮮の人たちとともに行列に並んでいたら、たまたまやってきた地元の警察官が私の縦長の赤いパスポート(当時の日本のパスポート)に気づいた途端、まるで浦安ねずみ園のファストパスさながらに、あっという間に届出が完了なんてこともありました。
それでも、もう20年以上昔のことではあるものの、良い思い出のほうが圧倒的に多いです。もちろん、私を様々な人に紹介するときに助手の女性が、やたら日本人ということを強調するのは気にはなりましたが、今にして思えば、ベトナム人と間違えられることで不利益が生じないように、という彼女なりの配慮だったのだと思われます。
社会主義時代からの友好関係の産物ですが、人口1000万人しかいないチェコにおいて、ベトナム人は6万人以上います(ちなみに、1億2000万人余りの人口を抱える我が国における在日中国人は65万人くらいだそうです)。これだけいれば、ベトナム人のことを快く思わないチェコ人がいても当然なのかな?と思います。それでも、「東欧はアジア人差別がひどい」と思い込んでいる人に対して、チェコはベトナム人を少数民族として認めているヨーロッパ唯一の国だということだけは強調しておきます。
とはいえ、シリアなどからの難民急増に対し、チェコはスロヴァキア、ポーランド、ハンガリーとともに、治安維持を理由に受け入れに慎重な姿勢を打ち出しており、EUに対して移民政策の見直しを迫っています。一方で、EUは2015年に難民を加盟国が分担して受け入れることで合意していることから、欧州委員会は今年6月にチェコやハンガリーなど受け入れを実行していない国に対し法的措置に踏み切る考えを示しているのも事実です。
流血を伴うことなく民主化さらには連邦国家解体を成し遂げ、さらにハヴェル大統領自身が世界の良心と目されていた国において、なぜこのような不寛容さが支配的風潮になるのか…。私は急激な自由化と彼らの言語が要因なのではないかと考えています。東欧革命が起きた1989年までは、チェコに限らずほぼすべての社会主義国において外国人は数も少なく、しかも当局の監視の対象でした。しかし世界観光機関による世界観光ランキング2016年版をみると、チェコを訪問した外国人観光客数は約1200万人にのぼっています。
「なんだ、日本の半分じゃないか!」と思った方、チェコは北海道ほどの国土に人口も1000万人しかいない小国です。しかも、観光客のほとんどすべてが世界遺産でもある首都プラハ市を訪問します。そのプラハ市は、面積が東京23区の半分以下、人口も僅か120万人余しかいません。27~8年前までは外国人受け入れを厳しく制限していた国(チェコ事件前後のプラハが舞台の映画『存在の耐えられない軽さ』はプラハでの撮影が許されず、フランスのリヨンがロケ地になったくらいです)において、首都の人口の10倍もの外国人旅行者が押し寄せれば、さまざまな葛藤が発生するのは容易に想像できます。
加えて、チェコ語やポーランド語などスラブ言語の難解さが、同じ欧州でも西欧の人々からは異形の空間と見做され、さらに自分たちの言語が思うように通用しないことにより、旅行者を中心に悪評が広まっているのだと思います(もちろん、言葉が通じないことを悪用しボッタくりをする輩がいるのも事実ですが…)。でも、これは中東欧の人たちも同様に感じていることです。例えば、チェコ語でドイツ人はNěmec(ニェメツと読みます)といいますが、これは、「われわれ(チェコ人などスラヴ人)の言語(スラヴ語)が話せない唖の人々」を意味します。
コミュニケーション不足が不寛容の根源であることは疑いようのない事実であります。だからこそ、我々が寛容であるためには常に心を開き、他者とのコミュニケーションを図る必要があります。しかし、急激な自由化は人々に恩恵ばかりではなく、疲弊や苦痛ももたらします。それらに耐え切れなくなった人々は、やがて門戸を閉ざすようになる…。誰かが作成した人種差別に関する欧州地図はその産物であると言えます。ただし、地図のような視覚化は新たな差別を助長しかねない…。1989年にやっとの思いでベルリンの壁を崩壊させ一つになった欧州が、今度は一人一人の内面に新たな壁を築き上げ、結局のところ欧州の東と西が真に理解し合うことはない…というのは考え過ぎなのでしょうか?
前職時代からこれまで、卒業旅行先に悩む受講生に対してチェコをはじめとする中東欧諸国を勧め、地図やガイドブックも貸してきましたが、幸いにして全員「訪問して良かった!」と言ってくれているのが救いです。それどころか、今年に至っては、「ロシア語を教えてくれ」と言ってくる受講生もいて、経済学の講義前後の時間を使ってロシア語も教えるようになりました(専門外ですので当然お金はもらってません!)。あちこちで門戸を閉ざす動きが起きていますが、少なくとも私の周りはまだまだ大丈夫なようです。
自分の思い入れが最も強い分野なのでかなり長くなってしまいました。気がつけば、8月21日は終わってしまいました…。最後まで読んでくださった方、お付き合いくださりありがとうございました。それでは、今日はこの辺で。